結愛ちゃん虐待事件 東京目黒区

結愛ちゃん虐待事件 東京目黒区

追記:信頼できる探偵会社なので皆様も是非「10歳女児虐待死を受けて一人でも犠牲者を減らすため」

 

以下ヤフーニュースより引用

ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから

もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるしてきのうぜんぜんできなかったことこれまでまいにちやってきたことをなおす

これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします

もう あしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ

なんてひどい話なのだろう。 児童虐待ニュースを見るたびに胸がいつも痛んでいたが またひどすぎるニュースが入ってきた。 正直書くのにも胸が痛く苦しい。五歳の女の子はこれを本気で考えて本気で書いたんだと思う。弟のようにかわいがられたくて。わたしもその家族の輪に入れてほしくて。

児童相談所は何をしてたんだとか、警察はとかは私は何とも言えない。いろいろな事情は色々なところにケースバイケースで転がっているから。年間ざっと100万人の子供が生まれ100人の子供が親に虐待されて殺されている。(統計によって線引きが難しく一説には350人とも)

「今私にできることは」なんてかっこいいことを言いたいわけではないけれど。

「今私がしたい」だけだ。

「今私がしたいこと」はこの子の言葉をここに残したかった。

「今私がしたいこと」は虐待かもって思ったら189番に通報する事。(ちゃんと匿名になる)この二つを訪問者が少ないであろうこのブログにでも書き留めておきたかった。

以下は私の駄文です。

私も実は子供時代に父親から虐待を受けて育ってきた。が、父親も母親も好きである。感謝もしている。そして恨んでいない。なぜか?それが虐待だったと気づかず生きてきたから。良い大人になるための躾だと思っていたから。大人になり35歳ごろになってようやく「それは虐待だ」とカウンセラーに言われて「虐待だったんだ」と気づいた。だが未だに頭では分かったが体では分かっていない状態。たとえるならタバコを吸う人が医者に「あなた重度のニコチン依存症ですよ」と言われた感じに似てるかな? 繰り返すが父親も母親も好きである。感謝もしている。そして恨んでいない。

この子の言葉、私は小学校六年生の時に書かされたことを覚えている。もうすぐ中学生になるので丸坊主を止めたいこと。半ズボンを卒業したいこと。靴下を履きたいこと。そんな話を夕食時にすると「中学は勉強しに行くとこだ おしゃれをしに行くとこやない」と、父親が突然怒り出し中学校にお前は行かせないと言い渡された。で、制服の採寸日は学校に行かせてもらえず庭の草むしりやら掃除をやらされていた。 だがやっぱり中学校に行きたいことを父親にお願いすると、なぜ行きたいのか?どのような大人になるのか?ということを原稿用紙に父親が納得いくまで書かされた。

ちなみに妹もいたのだが父親は結構な違う意味での男尊女卑で、女の子は嫁に行くからどうでもいい的に躾(行儀ではなく)部分には甘かった。私一人だけ食事中に玄関で正座させられた事もしょっちゅうあったし半畳ほどの納戸で鍵を閉められ寝たことも何度もあった。

少しこの子の生い立ちと自分の生い立ちが重なってしまったのかもしれない。人と昔話をすると大抵の人は子供のころのことや小学校中学校と思い出を話せるが、私は虐待の影響かあまり記憶がない。今救われているのは両親からの虐待じゃなかったことである。母親は父親が怖くて守ってはくれなかったが父親がいないときはたくさん愛情をくれた。虐待を止めてくれはできなかったが(これも虐待だという人もいるが)。

もうすぐ5歳になる自分の子供を見て考える。私たち夫婦はこの子に虐待をしていないだろうか?暴力はもちろん振るわないが精神的な虐待もしていないだろうか? しつけと虐待の線引きは? 身体的虐待ならわかりやすい。ネグレクトもそうだ。私は暴力ももちろん受けたがそれ以上に精神的虐待が中心だった。正直自分が気づかずに虐待をしていないか怖いときもある。虐待は連鎖するっていう話も聞く。ああなるほどなっていう感じの親子も見かける。私が息子の父親であることは私が私自身の為のエゴになっていないだろうか? 私は息子を洗脳していないだろうか? 私の遺伝子が息子に遺伝しないでほしいとたまに本気で思うこともある。それでも親になった以上自問自答しながら親を続けていくしかないのだ。

うちの父親は叔母さん連中から聞くと年の離れた末っ子だったり、祖父が経済的に潤ってから生まれたこともありかなり甘やかされたボンボンだそうだ。もちろん虐待も受けていない。私が思うに少し気が弱く一度振るった暴力を弱い子供相手に止められずにどんどんエスカレートしていったのであろう。暴力で解決しないときに暴力がエスカレートすることは人の道からそれ始めたときの私にも覚えがある。だから暴力は振るわない。ここは最低限息子にも守っていきたい。 ゲンコツさえも。

「ゆるして」と書き留めた結愛ちゃんの(あえて)未来には天国という世界があってそこで優しく生まれ変わってる家族がいて幸せな未来の世界に過ごせることを祈りたい。そして覚えたてのひらがなでたくさん楽しい手紙も日記も書いて欲しい。ご冥福をお祈り申し上げます。